作家・歌人・詩人・評論家

  阿部 真之助
 あべ しんのすけ(1881〜1964)

 満州日日新聞、東京日日新聞などをへて毎日新聞に入社。社会・経済・学芸各部長・取締役を歴任。退職後は人物評論を得意とする毒舌で知られた。菊池寛賞受賞。日本放送協会会長。

 大正・昭和期のジャーナリスト・評論家

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 有島 武郎
 ありしま たけお(1878〜1923)

 札幌農学校在学中、内村鑑三の指導の下に熱心なクリスチャンとなる。外遊後は母校で教鞭をとった。その間、ホイットマン、ツルゲーネフ、トルストイらに熱中し、雑誌「白樺」の同人になり、作家生活に入る。小説「或る女」「カインの末裔」、評論「愛は惜しみなく奪う」などを発表し、文壇の地位を確保した。

 大正時代の小説家

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 石坂 洋次郎
いしざか ようじろう(1900〜1986)

 教壇に立ちながら創作を始め、1927年、処女作「海をみに行く」が三田文学に掲載された。「若い人」で第1回三田文学賞を受賞。次いで「麦死なず」を発表。上京し作家生活に入り、戦後、「青い山脈」「石中先生行状記」「山のかなたに」「陽のあたる坂道」など庶民的な明るさと正義感を持つ作品を旺盛な筆力で書き続け、幅広い読者を持っていた。

 昭和期の小説家

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 巖谷 小波
 いわや さざなみ(1870〜1933)

 尾崎紅葉らの硯友社同人として小説「初紅葉」「妹背貝」「秋の長」などを書き新進作家として知られたが、創作童話「こがね丸」を発表し新生面を開く。博文館に入社、「少年世界」の主筆となり同誌に毎号少年文学・おとぎ話を執筆し、人気を集めた。また楽天居の俳号をもつ俳人でもある。

 明治・大正期の小説家・童話作家

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 岩谷 莫哀
 いわや ばくあい(1888〜1927)

 七校から東京帝大には入る。尾上柴舟に師事。後に短歌雑誌「車前草」「水甕」「桜草」「珊瑚礁」などに関係し、のち「水甕」の経営に専心。歌集「春の反逆」「仰望」岩谷莫哀短歌全集」などがある。

 大正期の歌人

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 内田 魯庵
 うちだ ろあん(1868〜1929)

 二葉亭四迷と親しく、ロシア文学に早くから影響をうけ、ドストエフスキーの「罪と罰」、トルストイの「復活」などを翻訳した。一方、「暮れの二十八日」「社会百面相」などの社会小説を発表。晩年は随筆を書くようになり、文芸批評や回想談などを残した。「思ひ出す人々」は回想記の傑作である。

 明治時代の評論家・小説家

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 江戸川 乱歩
 えどがわ らんぽ(1894〜1965)

 本名平井太郎。処女作「二銭銅貨」により新進作家として認められ、「D坂の殺人事件」「心理試験」「パノラマ島奇譚」などを次々と発表。朝日新聞連載「一寸法師」の完成後、放浪の旅に出る。「陰獣」「芋虫」「押絵と旅する男」「蜘蛛男」などの作品がある。戦後は創作とともに評論・研究に力を入れ、雑誌「宝石」の編集など後進の指導に尽力した。

 大正・昭和期の探偵小説家

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 岡本 一平
おかもと いっぺい(1886〜1948)

 東京朝日新聞社に入社し、漫画を書いた。その描写は人間生活の機微に触れ、その独特な漫文とともに多くの人に親しまれ、政治漫画に一時期を画した。妻かの子は歌人・小説家。

 大正・昭和期の漫画家

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 岡本 かの子
 おかもと かのこ(1889〜1939)

 「明星」「スバル」に歌を発表し歌人として出発。夫の一平と欧米遊学後、小説家として死に至るまで多くのユニークな作品を書き続けた。「鶴は病みつき」「老妓抄」「生々流転」など仏教的な人生観と生命観のあふれた作風である。

大正・昭和期の歌人・小説家

 16区1種17側3番

 小山内 薫
 おさない かおる(1881〜1928)

 詩集「夢見草」「小野のわかれ」を書く。小説家としては短編から自伝的長編小説「大川端」で才能を示す。自由劇場、築地小劇場創立。「第一の世界」「西山物語」「亭主」「奈落」などの戯曲のほか翻訳も多く、劇評家・演出家としての業績も大きい。松竹キネマに入り映画界にも足跡を残し、日本の新劇界の先駆者的存在である。

 明治・大正期の劇作家・演出家

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 尾上 柴舟
おのえ さいしゅう(1876〜1957)

 金子薫園と共に「叙景詩」を出版、明星派に対して叙景詩運動を進め、車前草社を結成。「静夜」「永日」「白き路」「間歩集」などの歌集がある。書家としても有名で「平安朝時代の草仮名の研究」「歌と草仮名」などの著書がある。

 明治・大正・昭和期の歌人・書家

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 亀井 勝一郎
かめいかついちろう(1907〜1966)

 プロレタリア文学運動に入る。「日本浪漫派」を創刊、廃刊後は「文学界」同人となる。仏教思想、仏教美術に深く入り、独特の思想を語って広く影響を及ぼした。「大和古寺風物詩」「親鸞」「信仰について」「現代人の遍歴」「愛の無常について」「知識人の肖像」などの著書がある。

 昭和期の評論家

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 上司 小剣
かみつかさしょうけん(1874〜1947)

 小学校の代用教員などを経て、読売新聞社に入社。在社中に徳田秋声・正宗白鳥・幸徳秋水・白柳秀湖等と知り合い、自然主義的写実小説「鱧の皮」で文壇的地位を獲得。ほかに「木造」東京」「U新聞年代記」などがある。

 明治・大正・昭和期の小説家

 4区1種57側35番

 川路 柳虹
かわじ りゅうこう(1888〜1959)

 口語体自由詩「塵溜」を発表して注目された。七五調などの古い詩型を破り言文一致の口語体による新しい詩を創造した。「路傍の花」「かなたの空」「勝利」「曙の声」などの詩集があるが、「歩む人」以後は抒情性を脱し、知性派詩人としての特色を強めた。美術評論家としても知られている。

 明治・大正・昭和期の詩人・美術評論家

 10区1種14側12番

 木々 高太郎
 きぎ こうたろう(1897〜1969)

 慶大教授をつとめた。海野十三のすすめで処女作「網膜脈視症」を発表、長編「人生の阿呆」で直木賞受賞。「新月」で探偵作家クラブ賞受賞。探偵作家クラブ会長。

昭和期の小説家・大脳生理学者

 10区1種6側3番

 菊池 寛
 きくち ひろし(1888〜1948)

 一高同級の芥川龍之介らと第4次「新思潮」を創刊、「父帰る」などを発表。小説は歴史や身辺を扱ったものから「真珠婦人」などの通俗小説にも及ぶ。雑誌「文芸春秋」を創刊。文芸家協会も設立、芥川賞創設など文壇の実力者であった。

大正・昭和期の小説家・劇作家

 14区1種6側1番

 岸田 国士
 きしだ くにお(1890〜1954)

 フランス文学、演劇に興味を持ち、パリに行きソルボンヌ大学で演劇を学ぶ。「古い玩具」「チロルの秋」「ぶらんこ」「紙風船」を発表。のち文学座の結成に参加、小説は心理描写の特色のある作品「暖流」「落ち葉日記」などのほか、「にんじん」などの翻訳物も多い。俳優岸田今日子は娘。

大正・昭和期の劇作家・小説家

 18区1種10側1番

 北原 白秋
きたはら はくしゅう(1885〜1942)

 「明星」に詩・短歌を発表、雑誌「スバル」を創刊。詩集「邪宗門」で詩人としての地位を確立し、異国情緒あふれる感性豊かな作品を次々と発表した。また「赤い鳥」に平明な芸術性高い童謡を掲載、晩年は作風を一変し、幽玄の境地を求めた。歌集は「雲母集」、詩集は「思い出」、歌謡「からたちの花」が有名である。

 明治・大正・昭和期の詩人・歌人

 10区1種2側6番

 木下 杢太郎
きのした もくたろう(1885〜1945)

 雑誌「明星」に官能的な詩を発表、北原白秋らと「パンの会」を起こし、雑誌「スバル」の同人となる。唯美的な洗練された感覚の象徴詩が多い。一方、東北大・東大の教授となり医学を教えた。東洋美術にも詳しくキリシタン文化研究の評論もある。

 明治・大正・昭和期の詩人・劇作家・医者

 16区1種12側3番

 楠山 正雄
 くすやま まさお(1884〜1950)

 島村抱月の下で「文芸百科全書」編集、のち冨山房の「新日本」編集、「模範家庭文庫」編集、「世界童話宝玉集」「日本童話宝玉集」などの執筆。また児童文芸雑誌「赤い鳥」などに古典や昔話の再話を発表。早大で演劇を講じ、また文芸協会や芸術座に参加した。

 大正・昭和期の児童文学者・演劇研究家

 3区1種32側17番

 久保 天随
 くぼ てんずい(1875〜1934)

 帝国文学に紀行、随筆、中国文学評論などを発表。のち中国戯曲の研究、作詩、著述、翻訳に傾倒し、「東洋通史」「四書新釈」「文書規範精義」などを著す。また翻訳「酔人の妻」「教授新論」などがある。宮内省図書寮編修官、台北帝大教授。ほかに「山水美論」「白露集」「支那戯曲集」等の著述がある。

 明治・大正・昭和期の文学者・詩人

 11区1種3側3番

 倉田 百三
 くらた ひゃくぞう(1891〜1943)

 西田天香の一燈園に入り、西田幾多郎の影響を受け、宗教的人道主義の立場をとる。同人誌「生命の川」を創刊、愛と信仰を主題とした作品を発表青年層の支持を受けた。代表作には戯曲「出家とその弟子」、評論集「愛と認識との出発」がある。

大正・昭和期の劇作家・評論家

 23区1種26側2番

 田山 花袋
 たやま かたい(1871〜1930)

 尾崎紅葉を知り文学を志す。はじめは浪漫的な小説を書き、のちに「重右衛門の最後」で自然主義に系統、「布団」発表後は島崎藤村の「破戒」と並び自然主義文学の代表となる。私小説、心境小説の第一人者、ほかの著書に「田舎教師」「妻」等がある。

 明治・大正期の小説家

 12区2種31側24番

 戸川 秋骨
 とが しゅうこつ(1870〜1939)

 島崎藤村・北村透谷らと「文学界」を創刊。一方東大英文専科に学び、山口高校教授。その後欧米に留学、帰国して慶大教授となる。早くから翻訳家として知られ、「エマーソン論文集」や「哀史」(レーミゼラブル)「十日物語(デカメロン)」は広く読まれた。

 明治期の評論家・英文学者

 21区1種24側16番

 徳川 夢声
 とくがわ むせい(1894〜1971)

 入試に落ち、大正の初め映画の説明者(活弁)となる。外国映画の説明を主に受け持ち、淡々と文学的に説明しインテリ層の支持を受けた。映画はトーキーの時代となり失業。戦後、漫談、著述などに活躍する。

大正・昭和期の芸能家・随筆家

 2区1種7側48番

 徳富 蘇峰
 とくとみ そほう(1863〜1957)

 熊本洋学校、同志社大に学ぶ。上京して民友社を創立、雑誌「国民の友」「国民新聞」を創刊。進歩的平民主義の立場に立つジャーナリストとして知られた。貴族院議員となったが、その後政界を離れ、評論家として活躍。主著に「近世日本国民史」がある。小説家徳富蘆花は弟である。

明治・大正・昭和期の評論家

 6区1種8側13番

 徳永 直
 とくなが すなお(1899〜1958)

 共同印刷争議で指導的メンバーとして活躍。この体験に基づく長篇小説「太陽のない街」で労働者出身のプロレタリア作家として一躍注目を集めた。全日本無産者芸術連盟(ナップ)に参加。戦後「妻よねむれ」「静かなる山々」などを発表した。

 昭和期の小説家

 19区1種24側17番

 中島 敦
 なかじま あつし(1909〜1942)

 喘息と闘いながら「山月記」などを執筆。「古潭」「光と風と夢」が深田久弥の推薦で発表され、後者は芥川賞候補に上り作家として一躍注目されたが、その年末に病死した。不幸な作家であったが没後「李陵」等の遺稿が発表され、評価が高まった。

 昭和期の小説家

 16区2種33側11番

 野村 胡堂
 のむら こどう(1882〜1963)

 報知新聞社に入社、同誌に人物評論、小説を発表。代表作銭形平次捕物控は昭和6〜32年の間書き続けられた。野村学芸財団を設立。また、レコード収集家、音楽評論家としても知られ、「ロマン派の音楽」「バッハからシューベルト」などの著書がある。

 昭和期の小説家・音楽評論家

 13区1種1側3番

 長谷川 町子
 はせがわ まちこ(1920〜1992)

 田河水泡に師事。代表作「サザエさん」は,まず昭和21年5月から福岡の夕刊フクニチ紙に、ついで昭和24年12月から朝日新聞に掲載され、また、近年、テレビでも放映され、庶民性ある家庭漫画として人気を博す。「エプロンおばさん」「意地悪ばあさん」も人気が高い。

 戦後の漫画家

 10区1種4側3の1番

 船橋 聖一
 ふなはし せいいち(1904〜1976)

 河原崎長十郎らと劇団心座を結成、多くの戯曲を書き才能を示した。その後明大で教えながら小説も書き始めた。雑誌「行動」に加わり行動主義・能動精神運動を進め、「木石」で文壇に認められた。戦後も旺盛な創作活動を示し、「雪婦人絵図」「花の生涯」等の代表作がある。相撲愛好家で、横綱審議委員会委員長もつとめた。

 昭和期の小説家・劇作家

 3区2種6側3番

 堀 辰雄
 ほり たつお(1904〜1953)

 芥川龍之介に師事。中野重治らと「驢馬」を創刊、中野らが左翼化していった中で芸術派の道を歩み、「聖家族」で文壇に認められた。プルースト、モーリアック、リルケなどの影響を受けるとともに日本の古美術や五朝文化へ関心を示し、知性と抒情の融合による独自の作風を創りあげた。「風立ちぬ」「菜穂子」は二大傑作である。

 昭和期の小説家

 12区1種3側29番

 前田 夕暮
 まえだ ゆうぐれ(1883〜1951)

 上京し尾上柴舟に師事。白日社を創立。処女歌集「収穫」を出版、自然主義の歌人として知られた。「詩歌」創刊、「陰影」「生くる日」「深林」などの歌集を出す。北原白秋らと「日光」を創刊し随筆を書き、一時休刊していた「詩歌」を復刊。口語自由律短歌を提唱、つねに老成を拒否し続けた歌人として知られる。

 明治・大正・昭和期の歌人

 12区1種10側21番

 三島 由紀夫
 みしま ゆきお(1925〜1970)

 学習院中等科在学中に「花ざかりの森」を出版。戦後、川端康成の推薦で「煙草」「岬にての物語」などを発表。「仮面の告白」「愛の渇き」などで作家的地位を得た。「禁色」「潮騒」「金閣寺」「近代能楽集」などを発表。楯の会を結成、同会の学生らと市ヶ谷の自衛隊に乗り込み割腹自殺した。

 戦後の小説家・劇作家

 10区1種13側32番

 水上 滝太郎
みなかみ たきたろう(1887〜1940)

 慶大在学中三田文学が創刊されると、「山の平の子」を発表、新進作家として知られる。渡米し経済学を学び、帰国後保険会社に勤務、大阪に住む。「大阪」「大阪の宿」などの作品はその体験から生まれた。評論、随筆、小説、戯曲を書き続け、生涯実業家と文学者の両面の生活を続けた。

明治・大正・昭和期の小説家・評論家

 5区1種16側6番

 三好 十郎
 みよし じゅうろう(1902〜1958)

 在学中早稲田文学に詩を発表。処女戯曲「首を切るのは誰だ」を発表、全日本無産者芸術連盟に参加、プロレタリア劇作家として知られたが、社会的リアリズムと呼ぶ創作方法をとる彼は組織から離れた。「斬られの仙太」「浮標」「をさの音」「獅子」、戦後も「崖」「廃墟」「その人を知らず」「炎の人」などを書いた。

 大正・昭和期の詩人・劇作家

 18区1種36側22番

 三宅 やす子
 みやけ やすこ(1890〜1932)

 昆虫学者三宅恒方と結婚。夏目漱石などに師事し小説を学ぶ。夫を失い文筆で子供を育てる決心をし、私小説的作品や評論を書く。雑誌ウーマン・カレントを創刊。主婦の立場から女性問題を平易かつ自由率直に論じ、執筆、講演に活躍。小説では「奔流」が代表作。評論集に「未亡人論」「生活革新の機至る」などがある。

大正・昭和期の小説家・評論家

 8区1種16側34番

 向田 邦子
 むこうだ くにこ(1929〜1981)

 映画雑誌編集記者となり、テレビドラマの台本からテレビドラマの脚本に転向。ラジオの「森繁の重役読本」、テレビの「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「だいこんの花」等がある。小説も書きはじめ「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞受賞、他に「あ、うん」「父の詫び状」「思い出トランプ」などがある。誰も気づかずにいる人間模様の一場面を切り取り一枚の絵として写し出す名人芸の持ち主と定評がある。台湾で飛行機事故のため死去。

 昭和期の放送作家・小説家

 12区1種29側52番

  森 槐南
 もり かいなん(1863〜1911)

 鷲津毅堂・三島中州等に師事。父からも漢詩を学び、明詩風の市を作った。随鴎吟社をおこし、諸新聞に健筆をふるった。宮内大臣秘書官、式部官を歴任。伊藤博文がハルビンで暗殺されたとき、随行していて負傷した。

 明治期の古注学者・漢詩人

 14区1種3側3番

  横光 利一
 よこみつ りいち(1898〜1947)

 菊池寛を知り文芸春秋創刊の時同人、「日輪」を発表。川端康成らと「文芸時代」を創刊、伝統的私小説とプロレタリア文学に対抗し新しい感覚的表現を主張。「機械」「寝園」「紋章」では自意識過剰に悩む知識人を心理主義的手法や四人称の設定によって追求、また「家族会議」などを発表。

 昭和期の小説家

 4区1種39側16番

  与謝野 鉄幹
 よさの てっかん(1873〜1935)

 落合直文に師事、歌論「亡国の音」で旧派の短歌を痛烈に批判。雑誌「明星」創刊、晶子と結婚し、ともに明星は浪漫主義運動の中心となる。多くの俊才がここに集まった。歌は雄壮で男性的であった。渡欧後慶大教授として国文学、国文学史を講じた。文化学院創設。「日本古典全集」や「鴎外全集」等の編集にも尽力した。

 明治・大正期の歌人・詩人

 11区1種10側14番

  与謝野 晶子
 よさの あきこ(1878〜1942)

 上京し処女歌集「みだれ髪」を出版、鉄幹と結婚。青春の情熱と人間讃歌を歌いあげ、明星派の中心的存在となる。合著詩歌集「恋衣」を出版、これには反戦詩「君死にたまふこと勿れ」が収められている。小説、童話、感想文など多方面で活動、「新訳源氏物語」出版、教育、婦人、社会問題に関する著述も多く、文化学院で教鞭もとった。

 明治・大正期の歌人・詩人

 11区1種10側14番

  吉川 英治
 よしかわ えいじ(1892〜1962)

 各種職業を転々としながら小説を書き講談社の懸賞小説に当選。大阪毎日新聞に連載した「鳴門秘帖」で大衆文壇にゆるがぬ地位を得る。「万歌地獄」「江戸三国志」「燃える富士」など発表。朝日新聞に「宮本武蔵」を連載。敗戦後も「高山右近」「平将門」「新・平家物語」「新水滸伝」「私本太平記」などを書いた。

 昭和期の小説家

 20区1種51側5番

  吉田 絃次郎
 よしだ げんじろう(1886〜1956)

 島村抱月の推薦で小説「磯ごよみ」発表後、早稲田文学やホトトギスに作品発表。「島の秋」が出世作となった。早大で英文学を講じるかたわら小説、戯曲、感想文をハッヒョウ、人生の悲哀、生の寂寥感を詠嘆的抒情でとらえた陶酔的美文は名文として一世を風靡した。「小鳥のくる日」「草光る」「静かなる土」「大阪城」などがある。

 大正・昭和期の小説家・劇作家・随筆家

 14区1種1側6番

作家・歌人・詩人・評論家・漫画家/学者(科学・医学・建築など理系)
学者(法学・政経・教育・史学・哲学など文系)/芸術家(画家・彫刻家・音楽家など)
芸能人(俳優・歌手など)/政治家・官僚・財界人・軍人 

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