政治家・官僚・軍人・財界人

  浅沼 稲次郎
あさぬま いねじろう(1898〜1960)

 早大在学中に民人同盟会、建設者同盟を組織し、ロシア飢饉救済運動、軍事研究反対運動を指導。1960年に社会党委員長となり、安保改定阻止国民会議を通じて安保闘争を指導。同年10月、日比谷公会堂で3党首立会演説中、右翼テロに倒れた。

 昭和期の社会運動家、政治家

 18区1種3側12番

  阿南 惟幾
 あなみ これちか(1887〜1945)

 1945年4月、鈴木貫太郎内閣の陸相となり、本土決戦論を主張、ポツダム宣言の受諾をめぐる御前会議では国体護持の立場から条件付き受諾を主張し、東郷茂徳外相らと対立した。終戦の日に自決した。

 昭和期の陸軍軍人(大将)

 13区1種25側5番

  有田 八郎
 ありた はちろう(1884〜1965)

 外務省に入る。広田内閣、第一次近衛内閣、平沼内閣、米内内閣の外相となる。戦後は東京都知事選に社会党候補として出馬したが落選。

 昭和期の外交官

 9区1種1側2番

  石坂 泰三
 いしざか たいぞう(1886〜1975)

 逓信省をへて第一生命に入り、後に社長。戦後公職追放、解除後東芝社長。生産性本部会長、経団連会長を歴任し財界の中心的存在となった。日本原子力事業、埼玉銀行会長のほか数十社の役員を兼ねた。

 大正・昭和期の財界人

 13区1種1側9番

  石渡 荘太郎
いしわたりそうたろう(1891〜1950)

 税制事務の第一人者とされ、第一次近衛内閣の大蔵次官に就任。汪兆銘政権の最高経済顧問として南京に赴任。帰国後東条改造内閣の蔵相、次の小磯内閣でも留任、さらに宮内相をつとめ、終戦前後の混乱に対処した。

 昭和期の大蔵官僚・政治家

 11区1種10側2番

  井下 清
 いのした きよし(1884〜1937)

 東京市、東京都の都市公園、葬祭施設の造成、運営に携わる。都市緑化、造園一般の分野でも活躍。白澤保美からドイツのハンピエツナーによる風景墓地の研究発表を贈られ、研究の動機となる。わが国始めての公園墓地として多磨霊園の建設に携わった。

 多磨霊園創始者

 8区1種18側18番

  宇垣 一成
 うがき かずしげ(1868〜1956)

 清浦奎吾内閣の陸相、以後加藤高明内閣、岩槻礼次郎内閣、浜口雄幸内閣の陸相となる。文麿内閣の外相兼拓相となり、対中国和平工作に従事するが、効果が上がらず、興亜院設置に反対して辞職。1953年の参院選では全国区最高点で当選した。

大正・昭和期の陸軍軍人(大将)

 6区1種12側1番

  内田 康哉
 うちだ こうさい(1865〜1936)

 第2次西園寺、原、高橋、加藤(友)各内閣の外相をつとめる。満鉄総裁に就任し、満州事変勃発後は、満鉄の輸送力を挙げて関東軍作戦行動に協力、ついで斉藤内閣の外相として「満州国」承認・国連脱退と続く国際孤立化の外交を推進した。

明治・大正・昭和期の外交官、政治家

 11区1種1側6番

  大久保 一翁
 おおくぼ いちおう(1817〜1888)

 維新後、駿府に赴任。廃藩置県後、静岡知事に就任。翌年文部省に入るが政府は過渡期の東京市政を円滑に運営すべく、直ちに第5代東京府知事に任命した。幕臣として勝海舟とともに幕政の運営にあたり、また議会制を主張した先覚者でもある。

 幕末、明治期の政治家

 11区1種2側3番

  大平 正芳
 おおひら まさよし(1910〜1980)

 第1次池田内閣で官房長官、第2次・第3次池田内閣の外相、以後第2次佐藤内閣で通産省、田中角栄内閣で外相、蔵相、三木内閣で蔵相となる。首相となった後、衆参ダブル選挙の選挙運動中に死去。

 戦後の政治家

 9区1種1側15番

  尾崎 秀美
 おざき ほつみ(1901〜1944)

 父の影響で中国の歴史・文化に親しむ。朝日新聞に入社、上海特派員として中国滞在中、リヒアルト=ゾルゲのコミンテルン諜報機関に参加。第1次近衛内閣の嘱託として中国政策に関与していたが、国際スパイとして検挙され、治安維持法・国防保安法・軍機保護法などの違反を理由にゾルゲとともに処刑された。

 昭和期の社会主義者・ジャーナリスト

 10区1種13側5番

  岡田 啓介
 おかだ けいすけ(1868〜1952)

 田中義一内閣、斉藤実内閣の海相。1934年首相在任中、2・26事件で襲撃されたが、あやうく助かり、内閣総辞職。東条内閣倒壊工作では中心人物となり、天皇制存続のための和平工作を画策した。

 大正・昭和期の海軍軍人(大将)・政治家

 9区1種9側3番

  古賀 峯一
 こが みねいち(1885〜1944)

 青葉・伊勢の各艦長、第7艦隊、練習艦隊の司令官、長官、その後第2艦隊、支那方面艦隊、横須賀鎮守府の長官を歴任、山本五十六戦死後の連合艦隊司令長官となったが飛行機事故で殉職し、元帥となった。

 大正・昭和期の海軍軍人(元帥)

 7区特種1側3番

  児玉 源太郎
 こだま げんたろう(1852〜1906)

 第4次伊藤内閣の陸相、つぎの第1次桂内閣にも留任し、一時内相と文相を兼任。日露戦争に出征し、満州軍総参謀長として大山総司令官を補佐、智謀をうたわれた。後に参謀総長、また南満州鉄道株式会社創立委員長となった。

 明治期の陸軍軍人(大将)

 8区1種17側1番

  西園寺 公望
 さいおんじ きんもち(1849〜1940)

 維新政府参与に就任。フランス留学後、明治法律学校を創立。中江兆民らと「東洋自由新聞」を発刊、政界入り後は各国公使を歴任、文相、政友会総裁となり、日露戦争後、桂太郎と相互に政権を担当。パリ講和会議に出席、のち元老として大正末期から昭和にかけて重きをなした。

 明治・大正・昭和期の政治家

 8区1種1側16番

  西郷 従道
 さいごう つぐみち(1843〜1902)

 隆盛の実弟。山県有朋と渡欧後、兵制の制定に尽力。西南戦争では兄隆盛に加担しなかった。歴代内閣の海相、内相に就任、晩年元帥になり、軍、政界に重きをなした。

 明治期の軍人・政治家

 10区1種1側1番

  斉藤 実
 さいとう まこと(1858〜1936)

 第1次西園寺内閣の海相、以来5代の内閣の海相をつとめる。ジュネーブ軍縮会議に出席、5・15事件後挙国一致内閣を組織したが政党、軍部、官僚三者均衡の上に政権維持をはかるその中間内閣的姿勢は軍部、右翼陣営の反感を強めた。2・26事件で襲撃され死亡。

明治・大正・昭和期の海軍軍人・政治家

 7区1種2側16番

  ゾルゲ
 (1895〜1944)

 ソ連邦共産党に入党、上海で在中国諜報機関を組織。横浜で対日諜報機関を創立。近衛文麿ら政界の上層部と親しかった満鉄嘱託の尾崎秀美より情報を入手、ソ連に送った。1941年に検挙、1944年処刑。

 ドイツの共産主義者

 17区1種21側16番

  高橋 是清
 たかはし これきよ(1854〜1936)

 販留学生として渡米、帰国後文部省にはいる。のちに日本銀行に入り、日露戦争中から戦後にかけて外債募集に成功、日銀総裁になる。山本内閣の蔵相となり、原敬首相暗殺後首相となる一時政界を離れたが、昭和初期の金融恐慌には日本経済安定のため尽力した。2・26事件で暗殺された。

 明治・大正・昭和期の政治家・財政家

 8区1種2側16番

  田中 義一
 たなか ぎいち(1853〜1929)

 日露戦争に従軍後、ロシアに留学、日露戦争では満州軍参謀。原、山本内閣の陸相」、のちに政友会総裁となり首相となる。普通選挙による最初の総選挙を実施、また、3次にわたる山東出兵を強行。張作霖爆死事件の際、辞職した。

 明治・大正期の軍人(大将)・政治家

 6区1種16側14番

  東郷 平八郎
 とうごう へいはちろう(1847〜1934)

 薩英、戊辰戦争に参加。イギリス留学。日露戦争時には、旅順港封鎖作戦を行い、ロシア海軍極東艦隊を公開海域で、バルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた。ロンドン軍縮条約の承認にあたり強硬に反対。軍の元老的存在であった。のち東宮学問所総裁になった。

 明治・大正期の海軍(元帥)

 7区特種1側1番

  徳田 球一
 とくだ きゅういち(1894〜1955)

 日本共産党の指導者。苦学して弁護士になるとともに社会運動に参加。日本共産党創立に参加した。3・15事件で検挙、18年間投獄される。戦後出獄、野坂参三らと日本共産党を再建。衆院議員に選出されたが、マッカーサーに追放され、地下潜行、中国に亡命、北京で客死した。

 大正・昭和期の社会運動家

 19区1種31側2番

  床次 竹次郎
 とこなみ たけじろう(1866〜1935)

 鉄道院総裁、このとき政友会入りして現職官吏の入党と話題になる。原敬、高橋是清内閣で内相。原没後政権への志向を強め、声優本当結成、いったん憲政会に合流、民政党発足させるが脱党。第3党の樹立計画も挫折し、政友会に復帰。犬養内閣鉄道相、岡田内閣の逓信相となる。

 大正・昭和期の官僚・政治家

 12区1種17側18番

  中島 知久平
 なかじま ちくへい(1884〜1949)

 中島飛行機(株)を創立、戦争拡大とともに軍用機生産で社業拡張、戦闘機隼はじめ飛行機の3割近くを独占生産。この間政界にも進出し、政友会を二分して革新派の総裁になる。終戦直後、東久邇内閣で軍需相、商工相。

 大正・昭和期の実業家・政治家

 9区1種2側3番

  中野 正剛
 なかの せいごう(1886〜1943)

 記者時代護憲運動に活躍、東方時論の主筆、後に社長。憲政会、民政党と少壮派として頭角を現わす。国民同盟を結成、その頃から急進ファシズムへと走る。同盟大会後、翼賛会からも離れる。反東条色を強め、倒閣企図の理由で検挙、釈放直後に割腹自殺した。

 大正・昭和期の政治家

 12区1種1側2番

  根津 嘉一郎
 ねづ かいちろう(1860〜1940)

 上京し漢学者馬杉雲外の門下に入る。帝国石油設立し社長。ほかに交通、製粉、ビールなどの会社の社長を歴任。その後、徳富蘇峰の国民新聞の社長をひきうけた。むさい高校、根津化学研究所を創立。没後、古美術のコレクションをもとに根津美術館が設立された。

 明治・大正・昭和期の政治家・実業家

 15区1種2側10番

  林 銑十郎
 はやし せんじゅろう(1876〜1943)

 ドイツ留学後、陸大校長、近衛師団長、朝鮮軍司令官。斎藤、岡田両内閣の陸相。陸軍の反対で宇垣一成の組閣が流産した後、政党を除外した内閣を組織。祭政一致という神がかり的スローガンをかかげた。総選挙は、ファッショ化に対する国民の不満で惨敗し、4ヶ月間の短命内閣であった。

 大正・昭和期の陸軍軍人(大将)

 16区1種3側5番

  馬場 えい一
 ばば えいいち(1879〜1937」)

 法制局長官、勧業銀行総裁。広田内閣の蔵相、増税によって、膨張する軍事費中心の財政支出をまかなう新方針を出す。この急激な転換は財界に不安を呼んだが、後に林内閣の蔵相により軌道修正がなされた。近衛内閣の成立で軍部の強い推薦により内相に就任。(注:名前のえいは金へん、つくりは英の字です。フォントにありません。)

 大正・昭和期の財政家・政治家

 10区1種7側12番

  平沼 騏一郎
 ひらぬま きいちろう(1867〜1952)

 検事総長、第2次山本内閣の法相。復古的日本主義による国民強化を目指して国本社を創立。首相の在任中国民精神総動員を強化したが、独ソ不可侵条約締結の時、複雑怪奇の迷句を残して退陣、第2次近衛内閣国務省、内相。無条件降伏反対の立場をとった。

明治・大正・昭和期の司法官僚・政治家

 10区1種1側15番

  藤山 雷太
 ふじやま らいた(1863〜1938)

 教師をした後上京して慶応に学ぶ。県会議員から三井銀行に入り、芝浦製作所所長。東京市街電鉄、日本火災、帝国劇場などの創立に参加。製糖三社が合併した大日本製糖の再建に成功、一躍財界に重きをなした。また台湾の糖業・パルプ業発展に貢献し、藤山コンツェルンの基礎を築いた。

 明治・大正・昭和期の実業家

 11区1種2側2番

  前田 多聞
 まえだ たもん(1884〜1962)

 内務省に入り、後に朝日新聞論説委員を経て、東久邇内閣の文相、田中耕太郎、山崎匡輔、関口泰ら異色の人材を起用し教育改革を推進した。幣原内閣で留任。日本育英会、日本ILO協会各会長を歴任した。

 昭和期の政治家

 16区1種3側7番

  美濃部 亮吉
 みのべ りょうきち(1904〜1984)

 美濃部達吉の長男。卒業後東大助手、講師をへて法大教授。人民戦線事件で検挙されて辞任。戦後東京教育大教授。東京都知事選に革新統一候補として立候補し、当選。1967年以後3期つとめた。

昭和期の経済学者・東京都知事

 25区1種24側1番

  安井 誠一郎 
 やすい せいいちろう(1891〜1962)

 内務省に入り、県警部長、東京市局長、宇垣一成が朝鮮総督となるとその秘書官、局長京畿道知事、拓務相局長、新潟県知事。退官して東京市電気局長となる。戦後、厚生次官、東京都長官に起用され、1947年東京都知事に立候補、当選、3期つとめた。

 昭和期の官僚

 2区1種2側37番

  山下 奉文
 やました ともゆき(1885〜1946)

 陸大卒業後参謀本部付、ヨーロッパ駐在後北支那方面軍参謀長、航空創刊など歴任。2・26事件の時帰順勧告書作成。関東防衛軍司令官、第1、2方面軍司令官。シンガポール占領の時パーシバル将軍に降伏を迫った。戦後バターン死の行進の責任を問われ、処刑。

 昭和期の陸軍軍人(大将)

 16区1種8側6番

  山本 五十六
 やまもと いそろく(1884〜1943)

 日露戦争従軍後、軍艦乗組をへて砲術学校教官。ハーバード大に学ぶ。海軍教官、第1次航空戦隊司令官等を歴任後、連合艦隊司令長官となり、旧来の海軍の作戦に変更を加え、また米・英不可分を主張し、対米戦を無視した対南方武力行使は不可能であると考え、ハワイ真珠湾作戦を立案。ソロモン諸島上空で戦死した。

 大正・昭和期の海軍軍人(元帥)

 7区特種1側2番

作家・歌人・詩人・評論家・漫画家/学者(科学・医学・建築など理系)
学者(法学・政経・教育・史学・哲学など文系)/芸術家(画家・彫刻家・音楽家など)
芸能人(俳優・歌手など)/政治家・官僚・財界人・軍人

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