芸術家(画家・彫刻家・音楽家など)

  赤塚 自得
 あかつか じとく(1871〜1936)

 代々平左衛門と称し蒔絵を業とす。絵を狩野久信に蒔絵を父に学ぶ。作風は時代の傾向に醒めて自己の創意を完成し、金粉の蒔き方、器物の形状等に新味を出し、すこぶる重厚の趣きがあった。

 明治・大正・昭和期の漆工家

 11区1種25側28番

  梅原 龍三郎
うめはらりゅうざぶろう(1871〜1936)

 浅井忠に師事。渡仏し、ルノワールに学び、二科会、春陽会、国画会の創立に参加。天性の豊潤な色彩感覚を駆使して裸婦・風景・静物画に絢爛たる作風を示した。代表作に「金の首飾り」「桜島」「竹窓裸婦」「ベスビオとナポリの街」などがある。

 大正・昭和期の洋画家

 5区1種7側43番

  川合 玉堂
 かわい ぎょくどう(1873〜1957)

 望月玉泉、幸野楳嶺に四条派を学び、上京後橋本雅邦に入門。東京勧業博覧会出品の「二日月」で画名を高め、「彩雨」等を描いた。文化勲章受賞。日本の自然を詩情ゆたかに平明に描く態度は一貫して変わらなかった。青梅市に玉泉美術館がある。

明治・大正・昭和期の日本画家

 2区1種13側8番

 岸田 劉生
 きしだ りゅうせい(1891〜1929)

 白馬会研究所に入り、黒田清輝に師事、印象派風の作品を描く。高村光太郎らとフューザン会を結成、さらに草土社を起こした。沈着で克明な思索的ともいえる肖像が多い。娘麗子をモデルにした麗子像は代表作である。

 大正・昭和期の洋画家

 12区1種11側11番

 小堀 鞆音
 こぼり ともと(1864〜1934)

 上京して川崎千虎に入門、古画の模写に従事するかたわら雑誌の挿絵を描いた。作家活動の上でも地味ではあるが、大和絵の伝統をとりいれた新しい歴史画に見るべきものがあり、とくに武者絵を得意とした。

 明治・大正期の日本画家

 7区2種7側1番

 下村 観山
 しもむら かんざん(1873〜1930)

 上京して狩野芳崖、橋本雅邦に師事、早くから身につけた古典の教養と卓抜な画技は、岡倉天心、雅邦の期待するところとなった。日本美術院創設に参加。「日蓮上人」「木の間の秋」「弱法師」「大原御幸絵巻」「魔障図」などの作品がある。

 明治・大正期の日本画家

 3区1種9側5番

 新海 竹太郎
 しんかい たけたろう(1868〜1927)

 後藤貞行・小倉捨次郎に師事。ドイツに留学して、ベルリン美術学校に学ぶ。帰国後太平洋画会会員になる。代表作は「ゆあみ」「大山公騎馬像」などがある。

 明治・大正期の彫刻家

 3区1種34側9番

 永田 錦心
 ながた きんしん(1885〜1927)

 美声で豪壮な芸風をもって知られ、大正時代には高峰筑風とならんで当代の二名人と言われた。みずから薩摩琵琶の錦心流という一派を立てて多くの門下を擁し、琵琶が演芸としてもてはやされた時代に華やかな生涯を閉じた。

 明治・大正期の琵琶師

 2区1種13側10番

 中村 不折
 なかむら ふせつ(1866〜1943)

 はじめ南画を志したが、十一字会研究所に入り、浅井忠に洋画を学ぶ。太平洋画会に属す。代表作には「八重の湖路」「建国剏業」がある。書家としても有名。中国の古文物をおさめた書道博物館を設立。森鴎外が自分の墓の文字は不折の書を刻むことを遺言。

 明治・大正期の洋画家

 3区1種15側10番

 中山 晋平
 なかやま しんぺい(1887〜1952)

 カチューシャの歌を作曲、松井須磨子が復活の劇中で歌ってヒットし、流行歌や童謡の分野で成功するきっかけとなった。作品は、「波布の港」「出船の港」「てるてる坊主」「砂山」「雨ふりお月さん」など哀調をおびたものに傑作が多いが、「鉾を収めて」「証誠寺(木更津にある寺の名前)の狸囃子」などの明るい歌もある。

 大正・昭和期の作曲家

 21区1種6側3番

 平福 百穂 
 ひらふく ひゃくすい
(1877〜1933)

 上京し川端玉章に入門。美術学校に学び、写実主義を唱えた。雑誌、新聞の挿絵は軽快洒脱な時事的スケッチに特色があった。日本美術院の当時の傾向とも一線を画し、磨きの掛かったスケッチ風の筆法を骨格にし、南画の雅趣をたたえた独自の風格をもつ。またアララギ派歌人でもある。

 大正・昭和期の日本画家

 5区1種10側15番

 牧野 虎雄 
 まきの とらお
(1890〜1946)

 東京美術学校在学中黒田清輝、藤島武二の指導をうけ、卒業後「紅葉の下湯」「渓流に水浴」などが文展特選に入る。多摩美術学校(多磨美大)を創立した。

 大正・昭和期の洋画家

 7区2種5側1番

 松岡 映丘
 まつおか えいきゅう
(1881〜1938)

 美校入学以前すでに橋本雅邦に入門。のちに山名貫義に入門、大和絵を学ぶ。卒業後、大和絵の真髄を作品に生かすことに心を注ぎ、色調、構図の上に典雅な情緒をそえた。文展に「室君」を出品。結城素明らと金鈴社を組織、国画院を結成した。代表作に「燈籠大臣」「右大臣実朝」などがある。

 大正・昭和期の日本画家

 10区1種13側19番

 満谷 国四郎 
 みつたに くにしろう
(1874〜1936)

 渡仏、ジャン=ポール=ローランスに学び帰国後太平洋画会の創立に参加。再び渡欧してからは後期印象派やキュービズムの影響を受け、以前の写実的な画風からは大きく変化した。また大正末期頃から数回中国へ渡り、以後次第に装飾的な描写をするようになった。

 明治・大正・昭和期の洋画家

 21区2種19側12番

作家・歌人・詩人・評論家・漫画家/学者(科学・医学・建築など理系)
学者(法学・政経・教育・史学・哲学など文系)/芸術家(画家・彫刻家・音楽家など)
芸能人(俳優・歌手など)/政治家・官僚・財界人・軍人

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