上原 謙 |
本名は池端清亮。1935年、立教大学卒業と同時に、「若旦那・春爛漫」で松竹からデビュー。メロドラマの美男スターとして、「愛染かつら」三部作などで人気を集めた。戦後の代表作は「めし」「晩菊」「夜の河」 |
昭和期の俳優 |
|
2区2種11側2番 |
大辻 司郎 |
株屋の店員を経て、活動弁士染井三郎に弟子入りし、東京浅草の帝国館で初舞台。松井翠声・徳川夢声らとともに人気を博し、奇声と珍妙な台詞でうけ、震災後、「漫談」の語を創始し、以後、寄席などに出演するようになった。日航機もく星号大島墜落事故で死亡した。 |
大正・昭和期の活動弁士・漫談師 |
|
20区1種20側1番 |
岡田 嘉子 |
1919年初舞台。その後、「出家とその内弟子」の芸妓楓で脚光をあびる。日活入社後、竹内良一と失踪、結婚。岡田嘉子一座を結成。1938年、杉本良吉と2人で樺太国境を越え、ソ連に入る。戦争中、対日放送のアナウンサーとなり戦後、モスクワ放送局に移る。ルナチャルスキー演劇大学卒業公演「女の一生」を演出。再々帰国し、演出、舞台出演を行い、映画「男はつらいよ」などにも出演。 |
昭和期の俳優・演出家 |
|
6区1種7側53番 |
小山内 薫 |
詩集「夢見草」「小野のわかれ」を書く。小説家としては短編から自伝的長編小説「大川端」で才能を示す。自由劇場、築地小劇場創立。「第一の世界」「西山物語」「亭主」「奈落」などの戯曲のほか翻訳も多く、劇評家・演出家としての業績も大きい。松竹キネマに入り映画界にも足跡を残し、日本の新劇界の先駆者的存在である。 |
明治・大正期の劇作家・演出家 |
|
5区1種1側37番 |
ディック ミネ |
本名三根徳一。立大在学中にギターを習い、シンフォニックバンドを結成、卒業時には一流のスタジオプレイヤーになっていた。古賀政男のすすめでテイチク入社、「ダイナ」でデビュー。「黒い瞳」「上海リル」も大ヒット。「人生の並木道」「旅姿三人男」の演歌路線でも成功。和製ポップスの草分けからナツメロ歌手の総帥として活躍。 |
昭和期の歌手 |
|
11区1種14側17番 |
徳川 夢声 |
入試に落ち、大正の初め映画の説明者(活弁)となる。外国映画の説明を主に受け持ち、淡々と文学的に説明しインテリ層の支持を受けた。映画はトーキーの時代となり失業。戦後、漫談、著述などに活躍する。 |
大正・昭和期の芸能家・随筆家 |
|
2区1種7側48番 |
中村 歌右衛門 |
明治の団菊、9代目市川団十郎、5代目尾上菊五郎亡き後の歌舞伎界を統率。また坪内逍遙作「桐一葉」で淀君を演じ、新境地を開いた。 |
歌舞伎俳優(5代目) |
|
2区1種13側5番 |