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更新日 2018-04-03 | 作成日 2018-04-03

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多磨霊園に眠る著名人 カ行

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 亀井 勝一郎
 かめいかついちろう(1907〜1966)
 プロレタリア文学運動に入る。「日本浪漫派」を創刊、廃刊後は「文学界」同人となる。仏教思想、仏教美術に深く入り、独特の思想を語って広く影響を及ぼした。「大和古寺風物詩」「親鸞」「信仰について」「現代人の遍歴」「愛の無常について」「知識人の肖像」などの著書がある。
 昭和期の評論家
 20区1種22側13番
                       
 上司 小剣
 かみつかさしょうけん(1874〜1947)
 小学校の代用教員などを経て、読売新聞社に入社。在社中に徳田秋声・正宗白鳥・幸徳秋水・白柳秀湖等と知り合い、自然主義的写実小説「鱧の皮」で文壇的地位を獲得。ほかに「木造」東京」「U新聞年代記」などがある。
 明治・大正・昭和期の小説家
 4区1種57側35番
                       
 川合 玉堂
  かわい ぎょくどう(1873〜1957)
 望月玉泉、幸野楳嶺に四条派を学び、上京後橋本雅邦に入門。東京勧業博覧会出品の「二日月」で画名を高め、「彩雨」等を描いた。文化勲章受賞。日本の自然を詩情ゆたかに平明に描く態度は一貫して変わらなかった。青梅市に玉泉美術館がある。
 明治・大正・昭和期の日本画家
 2区1種13側8番
                       
 川路 柳虹
 かわじ りゅうこう(1888〜1959)
 口語体自由詩「塵溜」を発表して注目された。七五調などの古い詩型を破り言文一致の口語体による新しい詩を創造した。「路傍の花」「かなたの空」「勝利」「曙の声」などの詩集があるが、「歩む人」以後は抒情性を脱し、知性派詩人としての特色を強めた。美術評論家としても知られている。
明治・大正・昭和期の詩人・美術評論家
 10区1種14側12番
                       
 木々 高太郎
 きぎ こうたろう(1897〜1969)
 慶大教授をつとめた。海野十三のすすめで処女作「網膜脈視症」を発表、長編「人生の阿呆」で直木賞受賞。「新月」で探偵作家クラブ賞受賞。探偵作家クラブ会長。
昭和期の小説家・大脳生理学者
 10区1種6側3番
                       
 菊池 寛
  きくち ひろし(1888〜1948)
 一高同級の芥川龍之介らと第4次「新思潮」を創刊、「父帰る」などを発表。小説は歴史や身辺を扱ったものから「真珠婦人」などの通俗小説にも及ぶ。雑誌「文芸春秋」を創刊。文芸家協会も設立、芥川賞創設など文壇の実力者であった。
大正・昭和期の小説家・劇作家
 14区1種6側1番
                       
 岸田 国士
  きしだ くにお(1890〜1954
 フランス文学、演劇に興味を持ち、パリに行きソルボンヌ大学で演劇を学ぶ。「古い玩具」「チロルの秋」「ぶらんこ」「紙風船」を発表。のち文学座の結成に参加、小説は心理描写の特色のある作品「暖流」「落ち葉日記」などのほか、「にんじん」などの翻訳物も多い。俳優岸田今日子は娘。
大正・昭和期の劇作家・小説家
 18区1種10側1番
                       
 岸田 劉生
  きしだ りゅうせい(1891〜1929)
 白馬会研究所に入り、黒田清輝に師事、印象派風の作品を描く。高村光太郎らとフューザン会を結成、さらに草土社を起こした。沈着で克明な思索的ともいえる肖像が多い。娘麗子をモデルにした麗子像は代表作である。
大正・昭和期の洋画家
 12区1種11側11番
                       
 北原 白秋
 きたはら はくしゅう(1885〜1942)
 「明星」に詩・短歌を発表、雑誌「スバル」を創刊。詩集「邪宗門」で詩人としての地位を確立し、異国情緒あふれる感性豊かな作品を次々と発表した。また「赤い鳥」に平明な芸術性高い童謡を掲載、晩年は作風を一変し、幽玄の境地を求めた。歌集は「雲母集」、詩集は「思い出」、歌謡「からたちの花」が有名である。
明治・大正・昭和期の詩人・歌人
 10区1種2側6番
                       
 木下 杢太郎
 きのした もくたろう(1885〜1945)
 雑誌「明星」に官能的な詩を発表、北原白秋らと「パンの会」を起こし、雑誌「スバル」の同人となる。唯美的な洗練された感覚の象徴詩が多い。一方、東北大・東大の教授となり医学を教えた。東洋美術にも詳しくキリシタン文化研究の評論もある。
明治・大正・昭和期の詩人・劇作家・医者
 16区1種12側3番
                     
  木村 栄
 きむら ひさし(1870〜1943)
 岩手県水沢の経度観測所の初代所長となる。従来知られていた経度変化の2つの変動成分X、Yのほかに1年周期の第3成分Zを発見した。のち水沢の万国経度変化中央局の局長となり、諸外国の経度観測も指導する学界の権威。
 明治・大正・昭和期の天文学者
 23区1種22側7番
                       
 楠山 正雄
  くすやま まさお(1884〜1950)
 島村抱月の下で「文芸百科全書」編集、のち冨山房の「新日本」編集、「模範家庭文庫」編集、「世界童話宝玉集」「日本童話宝玉集」などの執筆。また児童文芸雑誌「赤い鳥」などに古典や昔話の再話を発表。早大で演劇を講じ、また文芸協会や芸術座に参加した。
大正・昭和期の児童文学者・演劇研究家
3区1種32側17番
                       
 久保 天随
  くぼ てんずい(1875〜1934)
 帝国文学に紀行、随筆、中国文学評論などを発表。のち中国戯曲の研究、作詩、著述、翻訳に傾倒し、「東洋通史」「四書新釈」「文書規範精義」などを著す。また翻訳「酔人の妻」「教授新論」などがある。宮内省図書寮編修官、台北帝大教授。ほかに「山水美論」「白露集」「支那戯曲集」等の著述がある。
 明治・大正・昭和期の文学者・詩人
11区1種3側3番
                       
 倉田 百三
  くらた ひゃくぞう(1891〜1943)
 西田天香の一燈園に入り、西田幾多郎の影響を受け、宗教的人道主義の立場をとる。同人誌「生命の川」を創刊、愛と信仰を主題とした作品を発表青年層の支持を受けた。代表作には戯曲「出家とその弟子」、評論集「愛と認識との出発」がある。
 大正・昭和期の劇作家・評論家
 23区1種26側2番
                       
 小泉 信三
 こいずみ しんぞう(1889〜1966)
 渡欧して経済学を学び、帰国後慶大教授。「価値論と社会主義」を発表し河上肇らと対立、マルクス主義批判の立場を貫く。慶大塾長として大きな社会的影響をもった。戦後は皇太子明仁親王(現天皇)の教育にあたった。
 昭和期の経済学者・教育家
 3区1種17側3番
                       
 古賀 峯一
  こが みねいち(1885〜1944)
 青葉・伊勢の各艦長、第7艦隊、練習艦隊の司令官、長官、その後第2艦隊、支那方面艦隊、横須賀鎮守府の長官を歴任、山本五十六戦死後の連合艦隊司令長官となったが飛行機事故で殉職し、元帥となった。
 大正・昭和期の海軍軍人(元帥)
 7区特種1側3番
                       
  児玉 源太郎
  こだま げんたろう(1852〜1906)
 第4次伊藤内閣の陸相、つぎの第1次桂内閣にも留任し、一時内相と文相を兼任。日露戦争に出征し、満州軍総参謀長として大山総司令官を補佐、智謀をうたわれた。後に参謀総長、また南満州鉄道株式会社創立委員長となった。
 明治期の陸軍軍人(大将)
 8区1種17側1番
                       
 小堀 鞆音
  こぼり ともと(1864〜1934)
 上京して川崎千虎に入門、古画の模写に従事するかたわら雑誌の挿絵を描いた。作家活動の上でも地味ではあるが、大和絵の伝統をとりいれた新しい歴史画に見るべきものがあり、とくに武者絵を得意とした。
明治・大正期の日本画家
 7区2種7側1番