多磨霊園に眠る著名人 サ行
西園寺 公望 さいおんじ きんもち(1849〜1940) |
維新政府参与に就任。フランス留学後、明治法律学校を創立。中江兆民らと「東洋自由新聞」を発刊、政界入り後は各国公使を歴任、文相、政友会総裁となり、日露戦争後、桂太郎と相互に政権を担当。パリ講和会議に出席、のち元老として大正末期から昭和にかけて重きをなした。 |
明治・大正・昭和期の政治家 | |
8区1種1側16番 |
西郷 従道 さいごう つぐみち(1843〜1902) |
隆盛の実弟。山県有朋と渡欧後、兵制の制定に尽力。西南戦争では兄隆盛に加担しなかった。歴代内閣の海相、内相に就任、晩年元帥になり、軍、政界に重きをなした。 |
明治期の軍人・政治家 | |
10区1種1側1番 |
斉藤 実 さいとう まこと(1858〜1936) |
第1次西園寺内閣の海相、以来5代の内閣の海相をつとめる。ジュネーブ軍縮会議に出席、5・15事件後挙国一致内閣を組織したが政党、軍部、官僚三者均衡の上に政権維持をはかるその中間内閣的姿勢は軍部、右翼陣営の反感を強めた。2・26事件で襲撃され死亡。 |
明治・大正・昭和期の海軍軍人・政治家 | |
7区1種2側16番 |
下村 観山 しもむら かんざん(1873〜1930 |
上京して狩野芳崖、橋本雅邦に師事、早くから身につけた古典の教養と卓抜な画技は、岡倉天心、雅邦の期待するところとなった。日本美術院創設に参加。「日蓮上人」「木の間の秋」「弱法師」「大原御幸絵巻」「魔障図」などの作品がある。 |
明治・大正期の日本画家 | |
3区1種9側5番 |
新海 竹太郎 しんかい たけたろう(1868〜1927) |
後藤貞行・小倉捨次郎に師事。ドイツに留学して、ベルリン美術学校に学ぶ。帰国後太平洋画会会員になる。代表作は「ゆあみ」「大山公騎馬像」などがある。 |
明治・大正期の彫刻家 | |
3区1種34側9番 |
鈴木 梅太郎 すずき うめたろう(1874〜1943) |
渡欧し、蛋白質の研究をした。帰国して盛岡高等農林学校、東大農学部教授。米ぬかからオリザニン(ビタミンB1)の抽出に成功、米を使用しない合成酒、グルタミン、乳酸を製造。理化学研究所を創立。 |
大正・昭和期の生化学者 | |
10区1種7側8番 |
ゾルゲ (1895〜1944) |
ソ連邦共産党に入党、上海で在中国諜報機関を組織。横浜で対日諜報機関を創立。近衛文麿ら政界の上層部と親しかった満鉄嘱託の尾崎秀美より情報を入手、ソ連に送った。1941年に検挙、1944年処刑。 |
ドイツの共産主義者 | |
17区1種21側16番 |